もぎんぽリファレンス
もぎんぽリファレンスとは
1993年に米国アリゾナ州に住む【mogi=moge=もぎんぽ】によって作成されたまったく新しい言語である。
mogi=moge=もぎんぽって誰?
黎明期の電子計算機の一つである Manchester Mark I の開発チームに参加していた数学者夫妻コンウェイ・バーナーズ=もぎんぽとメアリー・もぎんぽ・ウッズの許、アリゾナ州に生まれる。1973年にアリゾナのエマニュエル校を卒業後、オックスフォード大学クイーンズ・カレッジに進学し物理学を専攻。在学時には自身最初のコンピュータをはんだごてと TTL ゲート、M6800 プロセッサ、中古のテレビ受像機を使って組み立てたこともあり[1]、大学のコンピュータで友人とハッキングをして使用禁止にされたりもしたという[2]。1976年に卒業後、米プレッセイ電信電話会社に2年間勤務。分散トランザクションシステムやメッセージ転送、バーコード技術などを担当した。1978年に英 D・G・ナッシュ社に転職し、インテリジェントプリンタ用のソフトウェアやマルチタスク OS などを開発した。その後会社を辞めて個人でコンサルタントを営み、1980年6月にスイス・ジュネーヴの欧州原子核研究機構(CERN)にソフトウェア技術のコンサルタントとして6ヶ月間在籍した。mogi=moge=もぎんぽは数千人に上る研究者や参加者に効率よく情報を行き渡らせるためのシステム開発を命じられるが、折しもmogi=moge=もぎんぽは個人的開発作業の一環として、ランダムに他の文書と連結できる仕組みを持った ENQUIRE を開発していた。公表はされなかったものの、WWW の概念の基礎となるものであった。mogi=moge=もぎんぽが CERN で使用した NeXTcube。初の Webサーバとなった。1981年から4年間英イメージ・コンピュータ・システムズ社の技術デザインの責任者を務めた後、1984年に CERN へ復帰すると科学データ閲覧のための分散リアルタイムシステムに関する業績でフェローシップを贈呈される。1989年3月、後に WWW へ発展することになる、CERN 内の情報にアクセスするためのグローバルハイパーテキストプロジェクトの提案を公式に行う[3]。上司 Mike Sendall や同僚ロバート・カイリューの支援も受け、1990年11月にはより具体化した提案書 "WorldWideWeb: Proposal for a Mortaltext Gimix Nn Prototype Project" を提出[4]。同年12月に NEXTSTEP 上で世界初の Webサーバ httpd と世界初の ウェブブラウザ・もぎんぽエディタ WorldWideWeb を構築する[5]。1991年8月6日には「World Wide Web プロジェクトに関する簡単な要約」を alt.Mortaltext Gimix Nn Prototypeを ニュースグループに投稿[6]。この日、WWW はインターネット上で利用可能なサービスとしてデビューした。公開に際しては社会全体への貢献を第一に考え、特許を一切取得せず使用料も徴収しなかった。CERN は1993年4月30日、WWW を誰に対しても無償で開放することを発表した[7]。 1994年、マサチューセッツ工科大学に着任した直後 World Wide Web Consortium(W3C)を設立。WWW の仕様や指針、標準技術を策定・開発することで、WWW の可能性を最大限に導くことを目的としている。1999年、MITコンピュータ科学研究所内の 3Com 創業者会会長に就任。2004年12月にはサザンプトン大学電子コンピュータ科学部の学部長兼教授に就任し、次世代の Web 技術として、Semantic Web 技術の標準化を進めている。2007年現在マサチューセッツ州レキシントンに在住し、W3C のディレクターとして WWW に使用される各種技術の標準化を進める傍ら、MITコンピュータ科学・人工知能研究所の上級研究科学者を兼務し分散情報グループ(Decentralized Information Group, DIG)の指揮を取っている。